歴史から知る
年表
年 | 出来事 | 段階 | 構成資産 |
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1550 | ザビエルが平戸で宣教する(長崎地方にキリスト教が伝来) | 宣教師不在とキリシタン「潜伏」のきっかけ | 原城跡 |
1562 | 平戸の春日集落に「慈悲の組」が設立される | ||
1563 | 大村純忠が横瀬浦で洗礼を受ける(日本初のキリシタン大名) | ||
1580 | 有馬晴信が日野江城で洗礼を受ける | ||
1582 | 天正遣欧使節が長崎から出港する | ||
1587 | 豊臣秀吉が伴天連追放令を発布する | ||
1590 | 天正遣欧使節が長崎に帰着する | ||
1597 | 豊臣秀吉が宣教師や信徒ら26名を西坂で処刑する(日本二十六聖人の殉教) | ||
1603 | 江戸幕府が開かれる | ||
1604 | 有馬晴信が原城を完成させる | ||
1614 | 江戸幕府が全国にキリスト教禁教令を発布する | ||
1622 | 宣教師や信徒ら55名が西坂で処刑される(元和の大殉教) | ||
1628 | 「絵踏」が始まる | ||
1630 | 寺請制度がはじまる | ||
1637 | 島原・天草一揆が起こる(~1638) | ||
1639 | ポルトガル船の来航を禁止する | ||
1641 | オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移す →海禁体制が確立する(鎖国) |
潜伏キリシタンが信仰を実践するための試み | 春日集落と安満岳(平戸の聖地と集落) |
1644 | 最後の宣教師が殉教し、国内に不在となる | ||
1657 | 大村領内の潜伏キリシタンの存在が発覚する(郡崩れ) | ||
1660 | 豊後で潜伏キリシタンの摘発がはじまる(豊後崩れ) | ||
1661 | 尾張で潜伏キリシタンの摘発がはじまる(濃尾崩れ) | ||
1790 | 長崎の浦上で潜伏キリシタンの摘発が起こる(浦上一番崩れ) | ||
1797 | 大村藩と五島藩の間に、百姓移住の協定が設立する | 潜伏キリシタンが共同体を維持するための試み | 黒島の集落 |
1805 | 天草で潜伏キリシタンの摘発が起こる(天草崩れ) | ||
1842 | 長崎の浦上で潜伏キリシタンの摘発が起こる(浦上二番崩れ) | ||
1854 | 日米和親条約により開国する | ||
1856 | 長崎の浦上で潜伏キリシタンの摘発が起こる(浦上三番崩れ) | ||
1859 | 函館、横浜とともに長崎を開港する | ||
1862 | ローマで日本二十六殉教者の列聖式を行う | ||
1863 | パリ外国宣教会の神父2名が横浜から長崎に入る | ||
1864 | 居留地の西洋人のために大浦天主堂を建設する | ||
1865 | 浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂で宣教師に信仰を告白する(「信徒発見」) | 宣教師との接触による転機と「潜伏」の終わり |
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1867 | 長崎の浦上で潜伏キリシタンの摘発が起こる(浦上四番崩れ) | ||
1868 | 明治政府が発足し、改めて禁教の高札を掲示する 五島で潜伏キリシタンの摘発がはじまる(五島崩れ) |
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1873 | 寺請制度が廃止され、禁教の高札が取り除かれる(キリスト教の黙認) →以後、カトリックに復帰した各地の集落に教会堂が建設される |
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1875 | 大浦天主堂の隣に神学校を建設する | ||
1889 | 大日本帝国憲法を発布する(信教の自由を明記する) | ||
1918 | 五島に江上天主堂を建設する |